「身近な被害者支援」 ~知る事から始まる理解、そして想いやりへ~

2019/07/25 2:29 に 山口文夫 が投稿

心理と教育コース卒  梁田知代子

 

こんにちは、放送大学の心理と教育コースを今春卒業しました梁田です。私は「被害者支援」をテーマとして学んできました。

以下は少し辛い数字が並びますが、最後までお付き合い頂けたら幸いです。

 

1年間の負傷者数58万人、死者3千人」

この数字を見て、皆さんは何だとお考えになりますか。「どこの国の話かな?内戦での死傷者数かな?」そうお考えになるのではないでしょうか?    

実はこれは、平成29年の1年間に起きた日本国内での道路交通事故での負傷者数580,850人、死者数3,694人という数字です。(内閣府発表 警察庁交通統計 平成30年道路交通事故白書より)

 

時々ニュースで流れるこれらの数字に皆さんはショックを受けたり、恐怖を感じたりした事はありますか?そうはあまり感じないのではないでしょうか?

でも、もしも「100人が一度になくなるような事故」が起きたら、事故とは関係のない私たちまでもが大変な衝撃を受け、恐怖や混乱を感じます。報道も連日大きくされます。         

私たちの住む茨城県内で平成29年中道路交通事故での死者数は 143人でした。(茨城県警察交通白書より) 残念ながら毎年100人以上の方が交通事故で亡くなっています。

しかし私たちはそれを身近に感じた事はなく、心の衝撃もなく、不安や心配もなく、いつもの生活を平穏に送り続けています。毎年こんなにも大勢の人々が交通事故で傷つき命を奪われているのに、その事をあまり身近に感じないのは何故でしょうか。

 

つい最近ですが、「201971日警察庁発表2019年上半期交通事故死者数は全国で1418人、前年同期比185減です。そして茨城県は死者数55人で前年同期比6減です。」というニュースがありました。「~減です。」とあります。事故が前年よりも減少している事はとてもよい事です。

毎年秋が深まる頃には「県内の死者数はこれで100人になりましたが、昨年よりも1週間遅いです。」などと新聞テレビで報道されます。この表現は他県でも同じです。この「OO日遅いです」という一言があるのですが、それが最後にあるだけで私たちはなんだかほっとします。

そして全国報道で毎年よく耳にするのは次の様な表現です。

「今年の負傷者数OO万人、死者OO人で、昨年よりもOO人減りました。」

過去最少になりました。」「最多だったOO年よりも、~%減りました。」

マイナスOO人です。統計開始以来、最低を更新です。」

 

この「~減っている。」等があると、世の中は年々更に安全な方へ向かっているかのようにも聞こえ、何故かほっとします。悲惨な事故のニュースを聞いた後も、そのようなめに自分や自分の周囲が遭う確率は減っていると、希望が持てる気がしてきます。

 

ところが、「平成29年中の道路交通事故で負傷者580,850人、死者3,694人であった。と数字だけを伝えられると、ちょっと印象が変わります。ゾッとしますし、もうこれ以上聞きたくないと思う方もいらっしゃるでしょう。

 

「負傷者58万人、死者3千人であったが、昨年よりも減少した。

「負傷者58万人、死者3千人であった。

 

昭和46年に内閣府が交通安全対策基本法を施行して以来、官民一体となり交通安全対策に取り組んでいます。現在は20163月に発表した第10次交通安全基本計画(計画期間:2016年度~2020年度)で、2020年までに死傷者数を50万人以下にするという目標を国として掲げています。

ですからこの交通安全基本計画の作成及び推進をしている側の統計発表としては「減った」や「1週間遅い」などの表現は正しいのでしょう。悲惨な事故の死傷者が近年右肩さがりに減っている事は事実です。

しかし私たち一般市民には「減った」や「OO日遅い」などの表現は、それを聞くと「あなたはますます安全の確率が高まったよ、事故はさらに遠い世界の事になったよ。」 とも感じ、事故の悲惨な現実や問題点から目を背ける材料になるのではないかと私は危惧してしまいます。

 

今生きている世の中が安全であってほしい、自分や自分の周りは危険とは無縁でありたいと願う気持ちは皆共通にあります。それは悪いことではありませんし、安全であるよう日々努力する事は人として大切な事です。しかし危険とは無縁でありたいと願うその気持ちは、時に悲惨な現実との狭間に心の壁を作り、無意識なうちに思考にフィルターをかけ、真実を見る目を曇らせることもあります。

 

伝える側の表現がどうであれ、人は往々にして「こうありたい。こうであってほしい。それは嫌だ。こうあるべきだ。」という願いから、自分の願う方へ、都合のよい方へと思考にバイアスがかかることがあります。この感情は自身の心の平穏を保つ為には必要なものでもありますが、しかしそれだけに留まらず、稀に他者への攻撃へと発展する場合もあります。

 

さて、また数字に戻ります。

交通事故で奪われた命は平成20年からの10年間で、全国で44,477人にもなりました。地方の市町村一つの人口ほどになります。10年で街が一つ消滅するほどの勢いで人が亡くなっています。

そして交通白書によるこの「死者数」とは、事故発生から24時間以内にお亡くなりになった方のみです。30日以内に亡くなった方、1年以内に亡くなった方、1年以上経ってお亡くなりになった方は死者数に入ってなく、別に表記はされていますが新聞テレビでは紹介されていません。 平成29年は発表死者数の他に実は9579人もの方が事故から1年以内に亡くなっています。

                          

内閣府発表 警察庁交通統計 道路交通事故白書より

事故発生から24時間以内に死亡 3,694人 (平成29年中)

30日以内に死亡 4,431人 (平成29年中)

1年以内に死亡 5,148人 (平成28年発生交通事故を原死因

 

内閣府は平成21年の交通事故死傷者の被害・損失の経済的分析を公表しています。金銭的、非金銭的損失金額の合計は1年間で63千億円でした。これは茨城県の2019年度予算の5倍以上です。

 

交通事故の被害者は、国が費用を負担して国選弁護士が弁護にあたる「国選弁護制度」を利用することができますが、「現金、預金などの資産の合計額が200万円以下の人」でないと利用できません。(平成25年以前は150万円以下でした)

因みに、総務省統計局発表による平成29年度の2人以上の世帯において貯蓄現在高は平均値が1,812万円、中央値は1,074万円であり、貯蓄現在高が200万円以下は全体の15.3%です。

一方、加害者は資産合計額などの制限はなく、被害者よりも国選弁護士を利用しやすい仕組みになっています。また係る国選弁護士費用、拘留費用、裁判の費用や警察による事故の捜査費用などには巨額な税金が使われていますが、数字は明らかになっていません。

 

内閣府発表 警察庁交通統計 道路交通事故白書より

事故発生件数 472,165件 (平成29年中)
重傷者 36,895人 (平成29年中)

 

救助や医療の高度化により救われる命は増えましたが、介護が必要になったり、寝たきりになったりなどの重度後遺症を負われた方も増えています。

支える家族の負担も一生続きますが、そのような人たちの存在は、社会の表には出てきていません。

 

先にお伝えした第10次交通安全基本計画では、2020年までに死傷者数を50万人以下にするというのが目標です。「1年間で死傷者50万人」です。この50万人は皆さんにとってどのような数字ですか?

 

交通事故の数字をたくさん見ていただきましたが、いかがでしたでしょうか。数字とだけ向き合うと、以前とはまた違う交通事故の現実が見えませんか。道路交通事故だけでもこれほど多くの被害者が存在しているということをぜひ知っていただきたいです。

 


















内閣府ホームページ内 平成30年交通安全白書より 

道路交通事故による交通事故の発生件数、死者数、負傷者及び重傷者の推移」

https://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/h30kou_haku/zenbun/genkyo/h1/h1b1s1_1.html

 

事件や事故は毎日起きています。被害者はその数以上にいるはずなのに、私たちは「被害者」と呼ばれる人にほとんど会うことはありません。何故でしょうか。

 被害者の多くは「被害者であること」を隠して生きています。

日本の社会では未だ「被害者にも何かしら非があったに違いない」と、その害を被った原因の一端は被害者にもあるはずだとする傾向があります。

「あの人は私とは違う何かがあったから~、だから~、それが原因であんな目に遭ったに違いない」として、「私は違うから大丈夫、被害者にはならない」と思う気持ちが多くの人の心の奥底に存在しています。

この気持ちが無意識のうちに被害者の過失を探し、時には勝手に謗種をもつくり上げます。インターネット上では投稿者が特定されにくいため、無かった事までもが大きく歪んだまま無秩序に広まってゆき、誰にも止められなくなります。

ですから被害者は「これ以上傷つきたくない」と、世間からの誤解や謂れのないバッシングによる二次的被害を回避する為に自分が被害者である事を隠します。

 

被害者が被害前の普通の生活を送るためには、被害者である事や心の傷に蓋をして平気を装わないとなかなか通常の生活へその身を戻すことはできません。しかしそう簡単に心や身体に受けた傷を無かった事にもできません。どれだけ時間をかけても癒えない悲しみ、できなくなった事や失ったものもたくさんあります。 

 

他者からは見えない心の傷や事故後に抱えてしまった多くの苦悩があることを周囲から理解してもらえない時、被害者は孤立してしまいます。社会と交われなくなった被害者やその家族もいます。また、せっかく助かった命なのに生きていく事を苦痛に感じてしまい、自らその命を絶ってしまう不幸な現実もあります。

 

皆さんの周りにもし事件や事故の被害者になってしまった方がいたら、ぜひその苦しい状況をご理解いただき、そっと寄りそっていただけたらと思います。

ある調査で「一番手助けが必要だった時期は?」という被害者への質問に対し、一番多かった答えは「被害遭遇直後」でした。怪我の治療(看病)と、仕事やいつもの生活(家事、育児、介護など)全て待ったなしに同時進行で行わなければならず、どれもミスがあってはなりません。心や身体への疲労は重なるばかりです。出費も多くなり経済的負担も増します。また刑事訴訟や補償の手続きに関しては、普段これらと縁のない一般の私たちでだけはとても十分な対応はできません。「後になって後悔した」という声も多いです。

「支援が必要であった人ほど自ら支援を求める事が出来ていなかった」「心の支援、治療を受けた被害者は、それを必要とした人の2割に満たなかった」という調査結果もありました。

現在、都道府県警察やその他にも全国には多くの公的な相談窓口があり、被害者の安全や権利の保護を図るべく支援活動をしています。全国犯罪被害者センターは、病院や公判への付き添い等、きめ細やかな支援に取り組んでいます。ですから、それらへ繋げるなども皆さんにできる被害者支援の一つです。

被害者に直に接する事でなくても、「そっとしておく」や「いつも通りの笑顔で接する」などが傷ついた被害者の心の平穏に繋がる場合もあります。「被害者を支えている家族」を身近な周囲、地域や職場で支えることも立派な被害者支援です。

 

被害者が被害者である事を隠さなくてもよい社会へ。それは、事件事故は他人事ではないと皆が理解し、被害者となった人への偏見が無い社会です。

傷ついた人の心の痛みを皆が理解し、想いやる事ができる優しい社会になれば、今よりももっと事件や事故が減り、日本がさらに安心安全な社会へと発展してゆく事に繋がると思います。

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

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