今、注目の人

放送大学同窓生の私と看護協会で働く私

2016/05/24 1:40 に 山口文夫 が投稿

生活と福祉コース卒業 大槻 解子

1.放送大学と私

放送大学は9年間かけて平成23年3月に卒業しました。

高校卒業ころまでの将来の夢は、大学の教育学部に進学し教員になることでした。

しかも、自分が育った岩手の三陸の田舎のような僻地の教員になりたいと考えていました。

しかし、当時の私の学力は、高校時代は新体操部の部活動中心で勉学には身が入らなかったため国立大学に入れるレベルではなく、そうかといって、私立大学へは経済的に無理であったため、経済的に負担が少なくてすむ看護学校へ進学しました。「看護師になりたい」という強い希望があって入学したわけではないので、看護学校での授業は「看護学」となっていて「学」がついているのに、これは、本当に「学問」なのだろうかと疑問ばかりが増えていきました。いつか、大学に入学してきちんと学びたいという思いがどこかにありました。

「看護」への動機が不純な私でしたが、何とか看護師として働き続け看護教員養成講習会も卒業し看護学校で働いていました。放送大学に入学していた同僚が試験で学習センターに行くたびに「放送大学入学申し込み」の冊子を持ってきては私に置いていきました。

何回かは利用せずに無駄にしていましたが、転勤で大学付属病院に勤務し始めた時に思いきって入学してみました。当初は試験前のレポートが期限に間にあわず試験を受けなかったりとか、受けても再試験があったりとかで、なかなか単位が積み重なりませんでした。面接授業で出会った学友からの学習のコツや試験のコツなどの情報が多いに役立ちました。何よりもここでの出会いは、それまで医療関係の中で生きてきた私にとっては、新鮮で、異業種の方々、年齢の巾も広い方々からの刺激は錆びついた私の知識欲を掻き立ててくれました。


「中国語」の面接授業は講師の発音がとても綺麗で、それだけでも中国語への興味が強くなりました。「実験」でスライム(紙おむつの中に入っている吸水物質)を作った事などが思い出です。

現在は卒業したままで、再入学は果たせていないため同窓生としての活動のみになっています。同窓会役員会で学習センターに出向くたびに「入学案内」冊子に目がいくのですが

もう少し今の仕事が落ち着いてからにしようと思い悩み手が伸びない現状です。

 

2.現在の仕事

 私は現在、公益社団法人茨城県看護協会で教育担当の常任理事として働いています。

看護職の方々には、日頃から協会の事業にご協力を頂いており、このページをお借りして

お礼を申し上げます。また、放送大学学習センターの所長さんはじめ事務局の皆様、同窓会立原副会長には、5月10日の当協会主催の「看護の祭典」では県民文化センター会場ロビーで放送大学PRを放送大学キャラクター「マナピー」とともに行って頂き、参加者の興味を引き、盛り上げて頂きまして有難うございました。あわせてお礼申し上げます。

茨城県看護協会は「県民誰もが、住み慣れた地域で、健康で安心して、その人らしく暮らすことができるよう、地域社会の調和ある発展に貢献する」ことを基本理念として活動しています。昨年9月の関東東北豪雨による常総市の災害に際しては、発災後すぐに、避難所の夜間看護に県内の災害支援ナースの協力を得て、約1か月半にわたり、延べ832人の派遣を行いました。

看護職の教育研修事業では年間100近くの研修を組み入れています。主に水戸市緑町の

協会会館である看護研修センターでの研修がほとんどですが、土浦にも霞ケ浦医療センター敷地内に土浦研修室があります。県内でも水戸までが遠距離である鹿行地区、県西地区などは近くで研修が受けられるように企画しています。

放送大学との関連では、准看護師の皆様が放送大学で学んだ単位を元に「看護師2年課程通信制」で学び国家試験の受験資格が得られる制度があります。これは、看護職のキュリアアップに貢献しています。現在就業している准看護師の皆様は、地域医療の大きな力となっていて、今後、ますます私達看護職への期待が高まっていく中にあっては、より多くの准看護師の方々に、この制度を利用して頂ければと感じています。

 

3.今後の抱負

 放送大学茨城同窓会の会計を担当しています。同窓会会員も130名となりました。

会員の皆様からの大切なお金を管理させて頂いていますので、有効に同窓会活動に活かせるよう吟味して行きたいと思います。今年は、これまで参加できなかった同窓会企画の国内、海外旅行に参加したいと考えています。そして放送大学への再入学が実現できたらいいなと思います。

放送大学と看護師

2015/11/03 0:52 に 山口文夫 が投稿

五十嵐 綾 全科履修生 生活と福祉コース

 

1.放送大学入学のきっかけ

放送大学に入学したきっかけは働きながら、学べる大学はないだろうかと探したところ看護学士が取れる放送大学のパンフッレトが目に入ったことでした。なんとなく質問事項の欄に看護学士がとれるにはどうしたらよいのでしょうかと書いたところ、後日放送大学の職員の方から電話がありました。本部の職員の方のアドバイスで「看護学士を取られる前に、教養学部の生活と福祉コースに在籍され、共通の科目をとることをお勧めします」と言われ、今全科履修生として生活と福祉コースで学んでいます。 

2.放送大学に入学してみて

 いざ入学すると全然思い描いていたような大学生活ではありませんでした。私が思っていた大学は18歳で入学した華のある大学生活。素敵な男性がいて、合コン、サークル活動、飲み会の数々でした。しかし放送大学の学生は白髪のとても似合う年上の男性が多くいらして、そういった方々の元気に介助の人なしで一人で歩き、教科書を読み、テレビやラジオを視聴して勉強、サークルやゼミ活動を積極的にされている姿にとても驚きました。勤めている病院で治療している同じ世代の患者様はパジャマを着て、認知症のために同じ内容を繰り返しお話している方、寝たきりのため看護が必要としている方がほとんどです。その世代の人は弱っている人がほとんどだという先入観をもってしまっていたと入学時、気づきました。

 

3.看護師を目指した理由

 幼稚園のお誕生日カードの将来の夢に“医者”と書き、そのカードを今も持っています。なぜ医者と書いたのかは覚えていませんが、その時から自然と医療の道を志していたのかもしれません。

また私の名前の由来は出産時に関わってくれた助産婦さんの名前“文(あや)”さんにちなんでいます。私が生まれた頃は大学卒の助産婦が大変珍しく、母親はその人のように困難なことがあっても、めげずに努力して生きてほしいという思いを込めて名づけたそうです。

 ところが母親の願うような生き方とは全く無縁のような生き方をしてきました。高校の出席日数は卒業日数のぎりぎりの登校日数で通い、高校3年生の3者面談では「推薦でいける看護学校はありません。受験しても内申書が悪く看護学校に入れません。」と担任先生から言われたことは今も覚えています。高校だけは無事卒業はしましたが、その後3回レギュラーコースの看護学校を受験しましたが、高校の欠席日数が多いことを理由に全て不合格、そのままフリーター生活を続けていました。

20歳の時に父が肺癌と診断され、手術と抗がん剤治療をしました。入院していた病院の看護師の姿が生き生きとしており、あんなふうに患者さんのために仕事をしてみたい思い、准看護師養成の学校に入学し、その後高等看護学校に進学し看護師になりました。

 

4.川波ゼミに参加して

川波公香先生の健康についてのゼミに参加しました。ゼミでは月に1回テーマを決めて話し合いました。私が一番思い出に残っているテーマは“胃瘻”と“終活”でした。胃瘻は高齢者が様々な理由で口から食事が取れなくなった場合、お腹に穴を開けチューブから専用の食事を流して食事を取る方法です。

私が働いている病院で口から食事が食べられなくなった多くの患者さんは胃瘻を作って、寝たきり生活しています。放送大学の学生は健康の知識が豊富で、もし自分がそのような状況になった時に胃瘻をやってほしくないという意見でした。そのような意見を聞き、まだまだ患者さんが願う医療と病院で提供されている医療には隔たりがあると気づきました。

最初“終活”という言葉を知らず、“就活”が思い浮かびました。人は生まれ、死ぬことは皆平等です。いつかその日が来ます。そのため終活は生きている間に最後を迎えるにあたって行うべきことを意味します。

死というイメージはどうしても暗いイメージを与えてしまい、みんなが避けてしまうと思います。“終活”のテーマのゼミを終えた後、“終活”とは自分のためでなく残された家族のために行うことであると理解できました。

 

5.これから

 あと数か月で卒業となります。卒業後も何らかの形で放送大学の学生として学びを続けて、次の夢を叶えたいと考えています。

放送大学でアクティブ人生を!

2015/09/02 15:41 に 山口文夫 が投稿   [ 2015/09/02 17:25 に更新しました ]

葛貫 壮四郎 全科履修生 「情報」コース

 最近、会う人、SNSSocial Networking Service)などで、“若いね”、“アクティブだね”と言われることが多くなった。ごく最近のSNSで“学則不固”とのコメントもいただきました。これは、古希の年代になっても “生涯現役”で人生を謳歌しているので他人からそのように見えるためと思われます。そこで、時計を一寸だけ逆回りして、私の放送大学との係わりを紹介し、さらに今後の抱負について述べたいと思う。

  1.   放送大学入学と当時の状況

 以前から放送大学の存在を知っていたがCS放送が開始されたのを きっかけに1998年の2学期に入学した。これは、定年の声が聞こえ始めた50代後半のときです。専攻は、「産業と技術」です。この専攻を選んだ理由は、仕事が電気関係のエンジニアだったので、一番近い専攻と感じたためです。

 当時の茨城学習センターは、茨城大学玄関から入って左側にある地域総合研究所隣接の建屋にありました。入学式は、茨城大学の講堂で実施し、入学の喜びとついていけるかの不安でいっぱいでした。現在の茨城学習センターの広さを考えると当時のセンターの広さは雲泥の差です。狭い場所での学生交流、面談、面接授業を思い出します。初代センター長は栗村先生、2代目センター長は奥先生です。奥先生は、現在の茨城学習センターの設立にご尽力いただきました。

2.   楽しいサークル活動

  放送大学に入学し、なにか物足りなさを感じていました。あるとき、友人を雑談していたときに、PCサークル結成の話になり、私が初代の「PCサークル」に就任しました。当然、茨城学習センターには学生用のPCはなく、茨城大学のPC環境(Win 98)を利用させていただきました(写真)

  その後、「ふるさと探勝会」にも入会し、茨城の歴史・文化にも興味を持ち始めました。今まで、仕事が技術系であったため、この会は新鮮でした。ふるさと探勝会の初代会長は染野氏です。この方は、JR東日本で駅長を勤めた方で、特に地域の歴史、文化に詳しい方でした。水戸八景、講道館、西山荘など思い出深いです。その後、染野会長の卒業に伴い、解散する話になりましたが、解散は、惜しい気がして、私が2代目会長に就任し、2つのサークルの会長をやることになりました。大変でしたが、会員のご協力もあり、なんとか任期を勤めることができました。

  入学後2年が経過し、単位を取得し無事卒業できた。と同時に、今度は、茨城同窓会創立の話になり、私にも創立メンバー(約10名)に加わるように要請されて副会長に就任しました。同窓会は会員の交流はもとより、学習センターの行事にも積極的に参画してきました。茨城同窓会の初代会長は細川氏で現在の茨城同窓会の基礎を創っていただきました。

  私は、3代目の同窓会の会長です。全国の同窓会の集まりである「同窓会連合会」にも出席するようになりました。4年も茨城同窓会会長を歴任していると、今度は、同窓会連合会(約1万人の会員)の会長に推薦され就任しました。これもまた、放送大学や同窓会連合会の独自の事業などに奔走しました。特に、卒業・修了祝賀会事業は、丁度東日本大震災の年でしたので、事業中止となり、約6,000人の会費返却を事務局長の細川氏、会計の堀井氏と奔走しました。苦しい時期でしたが、今となっては、良き思い出です。現在の茨城同窓会会長は、矢野氏です。同窓会会員も125名になりました。現在、矢野氏は同窓会連合会の会長も歴任しております。今後の活躍を祈念したい。

  放送大学は学びの場と同時にサークル活動等を通じてより良い学生生活をエンジョイできると思っています。

 

3.   仕事にも活かせる放送大学の授業

  私は、前述のように「産業と技術(200103月)」を卒業し、次に、「人間の探求(201109)」、「自然と環境(201409)」を卒業し、現在、「情報」コースに在学しております。

  定年退職(2002)し、ITコンサルタントの会社を起業(2003)しましたが、仕事に直接的に役立つ授業科目が多くありました。例を挙げれば、「問題解決の発想と表現(04)」や「問題解決の進め方(12)」は、経営上の課題をどのように解決するかのヒントを沢山いただきました。「管理会計(99)」、「財務管理」、「経営学」は会社が赤字にならないためのヒントを多くいただきました。さらに、「マーケティング論(99)」、「サービス産業論」、「ネットワーク産業論(00)」、「情報のセキュリティと倫理(’14)」は営業戦略やコンサルタントのコンテンツに大いに役立ちました。また、「人間の探求」の科目は、“人間力”を高めてくれたと感じています。

 仕事は専門的であることも必要ですが、人間としての一般教養も必要です。その意味で放送大学は、“生きる力”を与えてくれます。

 

4.   今後の抱負

 現在、「情報」コースに在学中ですが、あと1年で卒業できる見込みです。当面は、あと2コース「生活と福祉」、「心理と教育」の卒業を目指して、グランドスラム(名誉学生)になることが目標です。

 最近の新聞(日経2015/7/23)で、「一般的に老後に、お金、健康、孤独の3つの不安があり、働くことで老後の3つの不安は解消」との記事(経済コラムニスト 大江英樹氏)がありました。幸いに、私は、会社の代表と同時に、再生可能エネルギー会社の社員(保守の仕事)でもあり、この3つの不安は今のところない。今後とも、「働き続ける」、「学び続ける」、「夫婦愛を続ける」の3つの生涯現役でアクティブに生きていきたいと思っています。

2015/9/2投稿)

以上

「数学とのなが~いつきあい」 石井 健  全科履修生 「自然と環境」

2015/05/28 3:14 に 山口文夫 が投稿

    ―”定年後まで数学をやることになる”とは思ってもみませんでした―

○放送大学に入ったきかっけは・・・                                                           

茨城大学園祭で”放送大学オープンキャンパス”の案内が目に留まり、どんなところか興味があったので覗いてみました。そこで、放送大学って”テレビ学習だけじゃなく、クラブ活動があって楽しいのだ!”と発見しました。先輩とおぼしき面々が情熱をもって活動に取り組んでいる姿に魅せられ、大学のイメージが変わりました。更に、数学クラブがあって昔の卒論で苦労した本”Fiber bundle"をやっていて、数学って年をとっても楽しくやれるんだ!と感激。 

  そんなこんなで”定年後はこれしかない”と感じ、数年後に定年となって、放送大学入学、数学共楽会にも即入部した次第です。今もメンバーや大学諸先輩の好奇心旺盛な姿勢に啓発される毎日で、この出会いに感謝しています。

○そもそもの数学との出会いは・・・

  浪人時代はヒマで・・・暇つぶしに入った本屋での一冊のパズル本、マーチン・ガードナーの本でしたがそれにはまってしまいました。浪人時代は数学パズルで過ごし、志望先も工学部から理学部数学科に方向転換することになりました。

  大学では、論理とか連続、無限、トポロジーなど抽象的概念で展開する世界が面白くてやっていました。考える楽しさは、四六時中寝床でも解らないとこを考え、それがある時何かのきかっけで解決する、これだったように思います。

  その後はサラリーマン。数学科を出ると、教職につくか、コンピュータ関連の仕事につくか、そんな選択しかなかったのでシステムエンジニアの道へ。やって来たのは、工場のシステム化や耐震シミュレーション解析・・など。 抽象数学をやって来たので現実社会では殆ど役に立たないと思っていましたが、さにあらずで、とっても役立ちました。 システム化というのは物事のルール化なのですが、”本質を見極め、シンプルで、汎用的で、スッキリと“、 これに数学の何でも抽象化しまう考え方”モデル化”が威力を発揮するのです。楽しさは、スッキリシステムができると利用者が喜んでくれ作成者冥利に尽きました。

○放送大学に入って・・・

  私はいわゆる団塊世代で、会社をやめ放送大学に入学したのは2013年。クラブ活動&ゼミ活動が楽しく、クラブとしては数学共楽会、あとPCクラブを中心にやっています。単位取得の方はあまり熱心でなく、数学に限らず”興味が持てそうな講義”があれば見つけて受講するというペースでやっています。

  ゼミとしては・・・

 ・塩見先生の統計ゼミ:データからの知識発見?―これからデータが爆発する時代

               これにどう対処するデータサイエンスなる分野に興味が尽きない・・

 ・黒澤先生の暗号ゼミ:公開暗号方式?―素数の因数分解を使っていて鍵を公開していても、

解読するのに数千年掛かる・・

 ・横沢先生の相対論ゼミ:時間/空間が縮む? ―光速度が不変であるとすると

               時間や長さは伸びたり縮んだりする・・

 ・奥先生の解析ゼミ:微積分の世界?―世の中の法則の多くは微積分で現わされている。

この道具で世の中の仕組みが解る・・

 を受けています。

○シニアライフをどう過ごす・・・ 

  全くの会社人間が定年後に家庭生活となった次第ですが、”家庭の粗大ごみとならない”よう、知恵と工夫でやっていきたい・・・それが目標です。

    自活シニアをめざす! ―自分で生きていけるように、まずは食と健康

    昼食当番を言い渡されたが、自炊経験がないため、お手軽・美味・健康レシピを日々試作&特訓中。もう一つは、動けるシニアで公費負担削減に貢献する。犬とのジョギング、自転車でおでかけなどを実践中。

    放送大学に学ぶ! ―三拍子をサポートしてくれる素晴らしい応援団

”ボケないための頭の使い方”は「キョウヨウ」と「キョウイク」という話がある。教養と教育かと思いきや、さにあらず。「今日、用がある」と「今日、行くところがある」の二つらしい。私としては「キョウカン共感」を加えたい。「今日、考えることがある」これで万全だ。放送大学はこの三拍子をサポートしてくれる“妻の次の応援副団長だ”、感謝している。・・さらに、好奇心旺盛な諸先輩からも・・よい刺激をもらっています。

放送大学で学ぶ臨床検査技師の私  生活と福祉  高柳 美伊子

2015/01/28 19:31 に 山口文夫 が投稿   [ 2015/01/28 19:37 に更新しました ]

1.放送大学と私

生活と福祉を専攻しています。科目履修生としては2012年に再入学しましたが、2013年から全科履修生となりました。30年前に筑波大学医療技術短期大学部を卒業しましたが、当時は3年制でした。現在は医療系大学の多くが4年制となっています。友人の中には大学卒業後すぐに放送大学に編入する人が数人いました。私も様子を見ながら科目履修生で入学しましたが、幕張の学習センターに一度も行くこともなく、レポートを何とか提出しましたが、試験の日に仕事を抜けられず断念しました。時間の余裕ができてからは今思えばもっと早く始めればよかったと思いますが、同じ大学の後輩が、それまでの学術活動を申請し大学院へ入学したいと相談してきたことに刺激を受け、自分にはいきなり大学院に通うのは無理だけれども、かねてから気になっていた放送大学に再入学してみようと思いました。両親の介護にもそろそろ時間を取られそうで、43kmの通勤距離で管理職の仕事を続けるのは難しく今のうちに家の近くで働ける環境にしなくては、と転職を考えていた折でもありました。仕事だけでなく、何か自分が楽しみながら出来ることをやりたいとも考えました。

 2.仕事

救命救急センターへ臨床検査技師として病院の立ち上げから勤務しましたが、当直が月に10回、当直明けもないという今では考えられない過酷な状況でした。そのような中でも同僚たちと研修会に参加したり、全国各地で開かれる学会も参加するために発表をするようにしました。新しい病院だったこともあり、部署には新人の技師4名に年の離れた上司2名だけで、直接指導してくれる先輩はいませんでした。しかし、当時の病院長は新人の向上心を大切にしてくれる方でした。また、学会発表の指導をしてくださった病理の先生は研究に対する取り組み方を教えてくださり、人生の中で最も影響を受けた師です。特に尊敬していたのは、研修医からベテランの先生まで多くの臨床医の指導をされていたのですが、自分の仕事よりも指導を優先させていたことです。これは批判的な見方をする人も多かったように覚えています。なぜなら病理の結果が遅れてしまうからです。しかし、病理医は他の医師と違う。臨床病理検討会Clinico-pathological conference (CPCと略す)というカンファレンスがあります。病理解剖がされた患者さんの病態を臨床医と病理医が中心に検討するものです。私たちコメディカルスタッフや地域の開業医の先生方など医療従事者だけですが比較的オープンに行われます。手順としてはまず臨床医が診察を通して得た情報、検査結果などから導き出した臨床診断を説明します。そして治療経過、その経過の中で不明なことなどを含め全て明らかにします。病理医は各臓器の検査を行い最終的に病理診断をします。これが最終診断となります。病理医は臨床医が不明に思っている項目について回答していきます。一般の方には死後にそのように詳細に検討しても後の祭りでは、と感じる方もいるかもしれませんが、医療が科学的に行われていることの証明でもあります。医師が正しいと思って行った治療が思ったような効果を得ていたか確認すること、これは非常に重要な確認です。また、死因が不明な場合には遺族も正しい死因を知りたいと考えることがあります。病院の規模にもよりますが、病死であっても遺族が解剖を希望することで行われます。話が逸れましたが、師の行動からは病理医というのは日常においても臨床医を指導することが役割なのだと、言葉にしなくてもいつも感じられました。しかし、多くの病理医は超多忙でそれどころではないという方が多いと思います。実際、病理医は絶対的に少なく、いくつも病院を兼務しなければならないことも多いようです。師は20歳も離れた研修医に対しても病院長に対しても同じように接する方でした。ある時、検査室で師と私が話していると、1年目の研修医がやってきて『あのさ、これやってくれない』と横柄な態度で師に話しかけました。医師の世界は縦社会です。上の先生に対してあってはならない態度です。私はハラハラして、『・・・ですかね先生』と、何とかわからせようとしましたが、研修医は気づくことはありませんでした。師は『先生はなぜその検査をおやりになりたいと思われるのですか』などと普段通りに話しています。そんな感じもお気に入りでした。私は血液検査が主な担当でしたが少人数でしたので健診・生化学検査など何でもやりました。残業していると病理医不在のときには解剖の助手を外科部長から頼まれて手伝うこともありました。自分が部署のトップになった時には20数名の技師が在籍していましたが、最終的には50名に増えていました。新人には新人教育マニュアルを作り、人事評価を通して目標管理を行い、認定資格取得のためのロードマップも使うようになりました。自分たちが新人の時とは比較にならないほど教育は体系化され、指導者も指定するなど手厚いものだったと思います。しかし、熱心に研究をするスタッフの割合が増えるということはありませんでした。道は以前に比べて楽になったといっても、他に楽しいことも多い若い人にとって、楽ではない道を行くことを選ぶのは一握りでした。何が違うんだろうと、その一握りの若いスタッフと話したことがありますが、面白さを知ったかどうかの違いかな、という結論になりました。ただやらされたというのでは面白いはずがありません。仮説をたてて、大変な検討をして思ったような結果が出たときは何にも代えがたい喜びだと思います。また、仕事をしている中で大事にしていたことが、人とのつながりでした。さまざまな機械やシステムを検討し導入しましたが、決める基準は人でした。担当の営業の方でもいいですし、技術の方でもいいのですが話をして通じ合える方でないと、導入しても失敗と感じることがあり、機能的な評価や他の人の評価がさほどでなくても、話をきちんと聞いてくれる人がいる会社にすることで結果として正解でした。長くつきあうことになるので、その時点での機能よりも一緒に改善できることの方がメリットが大きいのです。

3.数学共楽会(学生サークル)

SIG(R統計学)に参加させて頂いています。入学式のときにサークル紹介でR統計を見つけて、え~R統計あるの、ラッキー!という感じでした。私はしばらくMacのユーザーで統計ソフトはstatViewを使っていましたが、病院で配給されたのはWINDOWSでしたので、苦手なエクセルに困っていたのです。会に参加してみると難しいということより、大好きなコーヒーは飲めるし楽しいというのが率直な感想でした。段々と皆さんの凄さがわかってきましたが、塩見先生はじめ皆さんに丁寧に論文の添削をして頂いたりお世話になっています。どこに出会いが転がっているかわからないものです。放送大学に入学しなければ出会えなかったと思うと、とても得した気分です。今のところ日曜日しか時間が取れないので、ゼミには参加していません。諸先輩方の歩かれている道を後ろの方からゆっくり歩いて行こうかと思っています。皆さんが楽しそうにされているので間違いないと感じています。

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