放送大学と看護師

2015/11/03 0:52 に 山口文夫 が投稿

五十嵐 綾 全科履修生 生活と福祉コース

 

1.放送大学入学のきっかけ

放送大学に入学したきっかけは働きながら、学べる大学はないだろうかと探したところ看護学士が取れる放送大学のパンフッレトが目に入ったことでした。なんとなく質問事項の欄に看護学士がとれるにはどうしたらよいのでしょうかと書いたところ、後日放送大学の職員の方から電話がありました。本部の職員の方のアドバイスで「看護学士を取られる前に、教養学部の生活と福祉コースに在籍され、共通の科目をとることをお勧めします」と言われ、今全科履修生として生活と福祉コースで学んでいます。 

2.放送大学に入学してみて

 いざ入学すると全然思い描いていたような大学生活ではありませんでした。私が思っていた大学は18歳で入学した華のある大学生活。素敵な男性がいて、合コン、サークル活動、飲み会の数々でした。しかし放送大学の学生は白髪のとても似合う年上の男性が多くいらして、そういった方々の元気に介助の人なしで一人で歩き、教科書を読み、テレビやラジオを視聴して勉強、サークルやゼミ活動を積極的にされている姿にとても驚きました。勤めている病院で治療している同じ世代の患者様はパジャマを着て、認知症のために同じ内容を繰り返しお話している方、寝たきりのため看護が必要としている方がほとんどです。その世代の人は弱っている人がほとんどだという先入観をもってしまっていたと入学時、気づきました。

 

3.看護師を目指した理由

 幼稚園のお誕生日カードの将来の夢に“医者”と書き、そのカードを今も持っています。なぜ医者と書いたのかは覚えていませんが、その時から自然と医療の道を志していたのかもしれません。

また私の名前の由来は出産時に関わってくれた助産婦さんの名前“文(あや)”さんにちなんでいます。私が生まれた頃は大学卒の助産婦が大変珍しく、母親はその人のように困難なことがあっても、めげずに努力して生きてほしいという思いを込めて名づけたそうです。

 ところが母親の願うような生き方とは全く無縁のような生き方をしてきました。高校の出席日数は卒業日数のぎりぎりの登校日数で通い、高校3年生の3者面談では「推薦でいける看護学校はありません。受験しても内申書が悪く看護学校に入れません。」と担任先生から言われたことは今も覚えています。高校だけは無事卒業はしましたが、その後3回レギュラーコースの看護学校を受験しましたが、高校の欠席日数が多いことを理由に全て不合格、そのままフリーター生活を続けていました。

20歳の時に父が肺癌と診断され、手術と抗がん剤治療をしました。入院していた病院の看護師の姿が生き生きとしており、あんなふうに患者さんのために仕事をしてみたい思い、准看護師養成の学校に入学し、その後高等看護学校に進学し看護師になりました。

 

4.川波ゼミに参加して

川波公香先生の健康についてのゼミに参加しました。ゼミでは月に1回テーマを決めて話し合いました。私が一番思い出に残っているテーマは“胃瘻”と“終活”でした。胃瘻は高齢者が様々な理由で口から食事が取れなくなった場合、お腹に穴を開けチューブから専用の食事を流して食事を取る方法です。

私が働いている病院で口から食事が食べられなくなった多くの患者さんは胃瘻を作って、寝たきり生活しています。放送大学の学生は健康の知識が豊富で、もし自分がそのような状況になった時に胃瘻をやってほしくないという意見でした。そのような意見を聞き、まだまだ患者さんが願う医療と病院で提供されている医療には隔たりがあると気づきました。

最初“終活”という言葉を知らず、“就活”が思い浮かびました。人は生まれ、死ぬことは皆平等です。いつかその日が来ます。そのため終活は生きている間に最後を迎えるにあたって行うべきことを意味します。

死というイメージはどうしても暗いイメージを与えてしまい、みんなが避けてしまうと思います。“終活”のテーマのゼミを終えた後、“終活”とは自分のためでなく残された家族のために行うことであると理解できました。

 

5.これから

 あと数か月で卒業となります。卒業後も何らかの形で放送大学の学生として学びを続けて、次の夢を叶えたいと考えています。

Comments