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統計の話 ・ M先生の思い出   元茨城学習センター長 塩見正衛

2012/06/14 9:10 に 山口文夫 が投稿

今は、中年以下の人たちでM先生の名前を知る人は少なくなったようですが、戦後、我が国における推測統計学の導入と研究で偉大な貢献をされた研究者、教育者として有名でした。日本のFisherという人もいたほどです。今日は、僕の知っている先生のエピソードを書かせていただきます。(一部フィクション)

M先生は、当時高円寺にあった運輸省気象研究所に在職されて、生気象学の研究をしておられたそうです。しかし、ふだんは気象研究所には出勤せず、東京大学医学部に小さな書斎を借りて、そこで統計学の研究をしておられました。毎月17日は公務員の給料日ですが、この日には高円寺の研究室の助手が給料袋を東京大学にある先生の書斎に届けていたそうです。ちなみに、当時は給料の銀行振り込みはなく、各自が会計係から印鑑をついて受け取る制度になっていました。当時の研究所における自由な雰囲気が目に浮かぶようです。

その東京大学にあるM先生の書斎が、朝日新聞社から発行されていたグラビア誌、アサヒグラフに出たことがあります。その説明の詳細は覚えていませんが、「先生は机にうずたかく不規則に積み上げてられている大量の本に囲まれて、崩れたら押しつぶされてしまう」というようなことが書いてありました。実際、届け物をするために先生の書斎を訪問したとき、僕が目のあたりにしたのは、アサヒグラフの写真のとおりでした。ちなみに、1993年に僕は茨城大学に転出したのですが、そこで見た多くの先生方の研究室内は、M先生の書斎そのものでした。

1982年、フランスで生物統計学の国際学会が開かれたとき、僕が羽田空港に着くとM先生が奥さんと一緒に来ておられました。先生曰く、「僕も、塩見さんと同じ学会に出席します。一緒に行けるからよかった」。僕は、先生の気持とは全く逆で、「こんなに偉い先生と長時間一緒にいるとは、なんと不運なことか」という尻込みの気持ちでした。変わり者と思っていた先生は旅行中ずっととても明るく、話好きでした。このときから、先生に対する見方が大分変わったと思います。

先生は東京大学医学部で修士の学生を相手に授業をしておられました。僕は、農業技術研究所に就職してから数年間、その授業に潜りで参加させていただきました。授業は、最近出版された統計学の本を1章ずつ学生が読んで説明する方法でした。説明の当番に当たっていたある学生が、「先生、このところがどうしても理解できません」と言うと、「君は、なぜちゃんと勉強してこないのかね」と叱って、「今日はこれで授業を終わりにする」と教室を出て行ってしまいました。当時の東京大学の授業はこういう水準だったのだと、今も思い出されます。

ふだん、先生の授業はセミナー形式で、自ら話されることはなかったのですが、あるとき、先生は「コメントします」と言って、最近先生が翻訳して出版された数値表の本の使い方をを懇切丁寧に説明されました。その訳本はロシア語が原典で、2乗、3乗、平方根、対数などの数値表だったと思います。数値表ですから、先生の説明がなくても誰でも容易に理解できる書物です。秀才のM先生と僕たちの間には、「易しい」という用語の意味に差があることをこのとき認識しました。分散分析や回帰式の計算に、数表を使っていた時代です。

M先生は、その後東京理科大学で教鞭をとられました。職を辞されてからも毎年生物統計学の講演会に出席され、血液中に含まれるホルモン量の統計解析の講演をしておられました。

M先生が書かれた本はたくさんあります。「少数例のまとめ方」、「実験計画法」、「コンピュータの部品になりたくない学生諸君へ」はその一例です。独特の筆致で、簡潔かつ難解な書き方です。

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