自然科学系における研究発表の現状
投稿日: 2015/01/04 10:19:00
元 茨城学習センター所長 塩見 正衞
1.自然科学系における研究発表の現状
わたしは、現在76歳であるが、今も時には国際誌に研究発表している。しかし、今日の研究発表の仕方は、私が研究を始めたころとは大きく変化してきたので、いつも戸惑いを感じている。わたしが農林省 (当時) の研究所に採用になったのは1961年で、農林水産省を辞したのは1993年である。この間約30年、研究成果は主に研究所が発行している報告書(論文集)と身近な学会誌に発表してきた。研究者は、自分たちが所属している研究所や学会が発行している報告書と学会誌に誇りをもっていた。ほとんどの(英語ないし日本語で書いた)論文はこれらに投稿され、研究所内ないし学会内の審査委員による審査のあと修正を経て印刷物となっていた。わたしたちは、印刷された自分の論文を公費で増し刷りし、それを国内外の研究者に郵送・普及したのである。世界の主要な研究所や大学の図書館には、印刷された報告書や学会誌が公費で送られていた。国外の研究機関を訪問したとき、図書館の書架に自分の論文が掲載されている報告所を見つけたときは、興奮したものである。1993年、わたしが茨城大学に転任したころから、このような研究発表形式は大きく変化したようだ。現在でも、大学や研究所で編集・出版されている研究報告は多いが、今では、それに掲載される論文の国際的評価は限りなくゼロに近い。
今日、評価の対象になっている科学論文集としての雑誌は、国際誌と呼ばれている。ISI社なるアメリカ所在の評価機関が定めたレベルと形式に適合した雑誌だけが国際誌である。そのような国際誌の編集・出版は、世界の3大メジャー出版社に独占的に握られていて、日本の学協会が発行している雑誌でも国際誌と呼ばれる雑誌は、ほぼ100%これらのメジャーに編集・出版を依頼しているのが現状である。そのメジャーは、アムステルダムに所在するエルセビア社、ベルリンに所在するシュプリンゲル社、それにニューヨークに本部があるワイリ-ブラックウェル社である。わが国でも過去、このグローバル化に対抗できる編集・出版組織をつくる機運があって、全国の学協会が共同で出資、準備を始めたけれども、定年教官による武士の商法だったのか、期待に反して、既に20年ほど前に破綻してしまった。科学雑誌の出版メジャーは、学会などからの委託された出版、自社が独自に発行している雑誌(論文の著作権はすべて出版社に譲渡されている)ファイルを大学や研究機関の図書館に売ったり、個々の論文を研究者個人の注文に応じて売って利益をあげている。ちなみに、大学の経済規模によるが、一大学がメジャーに支払うファイル購入費は年間数千万円、個人が1論文を買うのに必要な費用は一編当り3,500円くらいである。また、日本の学協会が出版社に支払う編集・出版委託費は学協会や雑誌の規模によって異なるが、年間数百万~数千万円と言われている。わたしが思うに、今後新しいメジャーを立ち上げることができるのは、科学出版の分野でも躍進著しい中国のみであろう。
さて、ISI社による論文や雑誌の評価はどのように行われているのだろうか。国際誌に論文が掲載されると、掲載から2年以内に他の論文に引用された回数をカウントして、そのカウント数を論文の評価点とする。また、ある雑誌全体の論文が2年以内に他の論文に引用された回数を掲載論文数で割った値 (すなわち、過去2年間における論文1編当り平均引用回数) をSCIと呼び、その雑誌自身の評価点としている。点数は、もちろん雑誌や分野によって大きく異なっていて、1未満の雑誌から、数十点にまで広がっている。最も高いSCIの評価値をもっている雑誌は、ネイチャー誌やサイエンス誌である。
博士の学位修得や、研究・教育職に就職する場合、また、助教から准教授、准教授から教授に昇進する場合、研究所なら研究員から主任研究員に昇進する場合には、候補者ごとのSCI点の合計値が評価の対象になることがある。したがって、どの雑誌に掲載されるかは、純粋に研究上の意義以外にも重要な意味を持ってくる。どの雑誌も、1年間に印刷できる頁数に上限があるから、いい論文なら必ず掲載してもらえるわけではない。したがって、研究者間は少しでも高いSCI点の雑誌に掲載されることを目指して厳しい競争を強いられている。ある雑誌への一度の投稿で、論文が審査を経て掲載にまでたどり着けるのは、一般に、20~30%といわれている。
それでは、論文の審査はどのように行われているのか。雑誌や専門分野によって若干の差異はあるけれども、いずれも出版社と雑誌ごとの投稿規定に従って、インターネットを通じて投稿する。投稿後1週間くらいで、投稿されたた論文の主題がその雑誌に適合しているかどうかが検討され、適合していない場合には、審査なしで「却下」という連絡が著者に寄せられる。この段階で却下されなかった論文原稿は、編集部から2人の専門家の審査者に送られ、2カ月くらいで審査結果が著者に知らされる。この段階で「却下」の判定が下されれば、その論文が希望したその雑誌に掲載されることはあり得ない。「修正後、再提出」の判定がもらえた場合は、掲載される可能性がある(100%可能性があるわけではない)ので、審査者の指摘を参考に原稿の修正を行う。最も真剣に取り組むのはこの段階である。普通、再提出期限が2カ月以内と切られている。再提出後は、再審査を経て、受理(合格)(あるいは却下)の段階に到達する。論文の投稿は、まずレベルの高い雑誌に投稿し、却下になれば次善の雑誌に投稿する、…となるから、一つの論文が完成・掲載されるまでには何度も審査を受けなければならないことが多い。一発で受理されることは、わたしの経験ではほとんどない。
英語を母国語としていないわたしたちには、論文投稿以前に英語の校閲を受ける必要がある。これは、英語がグローバル語として使われる限り避けられない。わたしが現在依頼しているカナダの会社では、1単語7円であるから、1論文では、3万円くらいになる。投稿・掲載に至ると、雑誌によってはかなり高額の出版費を必要とする。1編10頁くらいの論文で、数万~10万円に達する。
大学や研究機関の研究者に義務として要請されている執筆論文数は、1年1編と考えていいだろう。これは1年に一つ新しい発見を要求されていることに等しいから、達成は現実、容易ではない。
以上、わたしの主観で書いた実験科学、特にわたしが所属しているフィールド生物学の分野を念頭に、近年の論文出版状況を述べた。なお、研究発表には、集会において口頭やポスターで発表する形式もあるが、これらは特別の場合を除き、評価の対象にはならない。また、レビュー(評論)や主張、書評など、雑誌に掲載された原著論文以外の記事、さらに書籍出版物や新聞記事などは昇進や就職時には評価の対象にはならないのが一般である。
2.研究における不正行為について
2014年は、「研究における不正行為」が繰り返し報道された点で特筆される。わたしは、日本学術会議会員(第19期)として在任した当時、第6部(農学)から「学術と社会常置委員会」に所属するよう指定されて、2003年からほぼ3年間この問題についての議論に参加した。それ故、この問題には特別に関心をもっている。
わたしが学術会議会員であった頃、アメリカのベル研究所研究員ヘンドリック・シェーンは、常温超電導の発見に関する論文を次々ネイチャー誌、サイエンス誌等、第一級の国際誌に発表していた。しかし、それらの研究の実験を行った証拠がなく、また、日本人を含む多くの研究者が再現実験を試みても成功せず、あるいは、彼が雑誌に示した実験方法が不備で、再現実験が不可能であったとする報告が多数出されるようになった。その後、彼の報告はねつ造データにもとづいていることが判明して、論文はすべて取り下げられた。
近年では、2013年に発覚したノバルティス・ファーマの高血圧治療薬ディオバンをめぐる事件や、認知症研究J-ANDIをめぐる不正など、2014年にはSTAP細胞による組織再生の報告等、枚挙にいとまがない。また、必ずしも純粋な研究とはいえないが、製造業などでも、製品の技術的欠陥を隠ぺいしたために生じた人身事故は多発している。これらは、新聞紙上で事件性のある問題として取り上げられたものであるが、氷山の一角であるといわれている。
わたしは、現在、国民的な関心を呼んでいる「研究における不正行為とはどのような概念か」を、以下に手短に触れてみたい。わが国には、不正行為は過去にも多発していたにもかかわらず、公的にそれを防止する法律や機関は存在しない。アメリカでは、1980年代に多発した不正行為に対して連邦議会が介入、連邦政府に不正防止のための組織と規律を確立するように求めた。その結果、2000年になって、大統領行政府の科学技術政策局が、研究不正に関する連邦政府規律を採択した。したがって、それ以降、さまざまな研究不正に関する事例と統計、解決方法が収録・蓄積されてきている。ヨーロッパ先進国では、国ないしは各種協会などに、不正防止のための組織と規則を設けているところが多い。
それでは、「研究における不正行為とは何か?」。日本学術会議の「学術と社会常置委員会」の報告書に沿って書くと、①ねつ造、②改ざん、③盗用に分けられている。「①ねつ造」は、事実に基づかない数字・写真などを以て、あたかも真実であるかの如く研究報告を偽造することである。「②改ざん」は、研究者が持っている仮説に適合しない実験結果 (数字・写真など) の一部を修正して、あたかも仮説が証明されたかのごとく公表すること。「③盗用」は他の研究者が公表した、あるいは研究中の成果を、あたかも自分の研究で得られた結果の如く公表することである。ノバルティス・ファーマの高血圧治療薬の問題は、現実に臨床実験で得られたデータの一部を書き変えて、医薬の効価が向上したかのように装ったのであるから、②改ざんに当たるだろう。またSTAP細胞は、もしES細胞の混入を故意に行ったものであれば、①ねつ造に当たる。
「学術と社会常置委員会」が全国の学協会を対象に行った調査によると、研究不正には上記3つの範疇に含められない不正が多数存在する。挙げると、「プライバシーの侵害」、「研究資金の流用」、「論文の二重投稿」などがある。「プライバシーの侵害」は、下位の研究者が行った研究成果を上位の研究者が、あたかも自分の研究であるかの如く発表する場合などが含まれる(一種のパワハラ)。過去にあった封建的な研究環境では普遍的な現象であった。「研究資金の流用」では、公的に獲得した研究資金を私用に使った事件がよく問題になっている。「論文の二重投稿」は、研究者が自分の見かけの業績数を増やすために、同一内容の論文を複数の雑誌に投稿することである。
研究不正は、数学の定理のように明確に定義できるものではないから、「不正とみなすか、見なさないか」の判断基準はあいまいな場合が多い。たとえば、「③盗用」では、既に公表された他の研究者の論文や著書の一部が自分の見解と同一であるため、その部分を写して自分の論文にとりいれた場合はどうか?日本人の研究者は、英語が母国語でないため、英作文に苦労している。多くの研究者が、既に公表されている英語論文をノートに写し取っておいて、いざというときそれを使っているが、これは盗用か?一般には、既に公表されている論文や著書のデータを利用する場合は、その出所を引用文献として示すことになっている。なお、最近はほとんどの場合、出版された論文の著作権は出版社に所属させられているので、出版社との間で著作権問題が起こらないように注意することも必要になっている。論文の二重投稿についても、「内容と文章が全く同一の論文」は該当するが、「あとから発表する論文には多少新たなデータ解析をつけ加えた場合」はどう判断するかなど、その判断基準は、場合によって異なってくると考えられる。
さて、このような「研究における不正行為がなぜ生じるのか?」について、一言書き添えなければならない。研究者は本来、新しい科学上の発見や技術の確立に対して、他の研究者より一瞬でも早く公表することに執念をもっている。一番目の発表のみが評価されるからである。この競争意識が研究の動機として強く働いていることは確かである。さらに、研究者に内在する新法則の発見や技術の開発意欲の他にも、就職や昇進、名誉欲、予算獲得、サラリー・アップなどは研究者にとって、強い魅力である。このような欲望と動機が研究不正に作用していると考えられる。さらに、これらの欲望を助長する社会情勢が背景にある。わが国では、1990年代に大学院の学生が政策的に倍増され、課程修了者が以前の2倍に増加した。しかし、就職先は増えないばかりか、人減らし政策の嵐のもとで減少傾向にある。40歳になっても、正規職につけない研究者があふれ、1人の助教の公募に対して10人を超える応募者数が常態化している。研究予算は、全体としての増加がない中で、以前に存在した人当予算が大幅に削られ、重点化した研究課題を中心に振り当てられている。サラリーは、たとえば国立大学では、2005年以降は漸減傾向にある。これらの、研究者に対する社会的背景の改善が不正研究を防止する上で特段に重要な対策である。
2005年以降、日本学術会議などの呼びかけによって、日本に現存する1000を超える学協会や大学で、組織的に研究における不正を防止し、もしそれが発生した場合の行動規範が作られてきている。また、大学院生に対しては、「研究倫理」の教育が必須になっている。これらの社会的行動が、研究における不正防止のための重要な行動であることは確かであるが、それだけで研究不正をゼロにすることは困難である。研究不正を減らすためには、研究従事者自身の努力と社会的背景の改善のかみあった効果が重要だとわたしは考えている。
参考文献:日本学術会議・学術と社会常置委員会:科学におけるミスコンダクトの現状と対策:科学者コミュニティの自立に向けて. 2002年7月21日.
榎木英介:バイオ分野で繰り返される研究不正と科学技術. 前衛2014年12月号.
郷通子・榎木英介:STAPの教訓. 朝日新聞2014.12.19号